平和はプロデュースできるか |
多くの人は戦争を望んでいない。
それでも人類の歴史は、戦争の歴史でもある。
戦争は一人ではできない。必ず相手がいる。
そして人間は欲望の生き物だ。平和を望む欲もあれば、自国を守ろうとする欲もある。そして、正義の名のもとに敵を打ち倒したいという欲もある。
厄介なのは、この「正義」である。
正義は、暴力の最も強い原動力になる。
歴史の多くの戦争は、悪ではなく「正義」の名で始まっている。
人は悪のために戦うことにはためらう。しかし正義のためなら、人は驚くほど迷いなく残酷になれる。本気で敵を殺す動機としては、悪魔の囁きよりも、正義の方がはるかに強力なのだ。
そのことに無自覚な素朴な正義感は、戦争においてもっとも扱いやすい駒になる。
だから戦争を避けるために必要なのは、ただ平和を叫ぶことではない。
平和は、善意よりも知恵によって守られる。
むしろ、相手の欲望をうまく無効化するような、より狡猾で高度な知恵が必要なのではないか。
平和を求める欲を実現するためには、相手よりも一段高い知恵が必要だ。
そうでなければ敗北し、相手の言うなりの平和を受け入れることになる。
それは確かに平和ではあるが、自由な平和とは言いがたい。
それでも構わないと考える人もいるだろう。
無抵抗で敗北を受け入れ、抑圧のもとにある平和に甘んじる道だ。しかしその態度は、多くの場合、売国奴と呼ばれることになる。
英雄と売国奴。
その呼び名は、しばしば時代が後から決める。
平和は、思われているほど簡単な状態ではない。
平和な時代には、人は戦争など考えない。それが平和というものなのかもしれない。
しかし歴史を眺めれば、そのような時代がいかに稀であるかがわかる。
では、平和とは何だろう。
それは自然に訪れるものではない。
誰かが設計し、維持し、守り続けなければならない状態である。
言い換えれば、平和とは一つの知恵の塊のようなものではないか。
あなたは、平和をプロデュースできるのだろうか。
人間は神でも悪魔でもない。
ただ、自分たちの欲望の行き先を決めてしまう生き物なのである。
そしてその行き先を、私たちは歴史と呼んでいる。
