2006年 09月 03日
はらっぱ祭り・・・疑問 |
全国の多くの友人達に再開した。
みんな、はらっぱ祭りはどうなの?と訊いてくる。
現状は再開に向けてスタッフが努力しているが、まだ判らない。
もし、やれても一日限りしか無理だろうと答えると、みんな一様に、
それでは行けないなぁ、残念という反応だ。
全国で行われている祭りの流れの一環であるという視点が失われたんだなぁと感じている。
ゴミの問題、駐車の問題などは、明らかに参加者の意識の問題だ。
今年参加した獏原人の満月祭などはほとんど何の注意も聞こえてこなくてもキレイだった。
これが当然であったのだ。
コンビニエンスなイベントが増え、入場料を払ってサービスを受ける事に慣れた一部の人々が、祭の意識を汚している。
そして、そういう人間もいるのだからと警備や縛りをきつくしようという声が大きくなる。テロ対策と同じ構造かな。
祭の空気を大切にすることは技術ではないんだなぁ。
必ず現れる異物を、ただ警戒したり排除するのではなく、受け入れるだけの器量を持てるかという事のような気がする。
システムをしっかり構築すれば、成功するわけではないね。
そういうしっかりというのは主催者側のイメージで、弱いもの、反発分子を懐柔できない。
世のイベントの多くは、今や国家のテロ対策と相似形の異物排除に向かっているようだが、異物に対する想像力と優しさがない限り解決はないのだろう。
祭の本質は、精神の爆発、神に触れる感覚だ。
当然、少々の危険が伴うのが当たり前なのだが、現代は子供にナイフを持たせない的な安全志向全盛で、精神の試練の場であることが、ほとんど無視されて、ただのお楽しみのレジャー感覚ばかり増幅しているように思う。
特に伝統的祭以外の新参者の祭では無礼講に対する周囲の理解を得ることは、困難ですべてが消毒されていく。消毒されては本質はなくなる。
町場で行われてきた希少な祭、はらっぱ祭りは主催者の思惑以上に全国的な意味を増していき、現代社会に足りない何かを感じさせる催しになっていき多くの人の興味を引き拡大していった。
これは必然であったのだろう。少数のスタッフの努力や思惑を超えた流れが出来たのだが、ステージが3っになったのが象徴するように、中心がぶれてしまったのかもしれない。
あれだけ多くの人達が惹かれて来た事をどう捉えればいいのか。
その事は、今や現実への対処の中に棚上げされているようだ。
私は、全国の友人達の東京での希少な再開の場が現状では持てなくなったのを残念に思うのみである。
みんな、はらっぱ祭りはどうなの?と訊いてくる。
現状は再開に向けてスタッフが努力しているが、まだ判らない。
もし、やれても一日限りしか無理だろうと答えると、みんな一様に、
それでは行けないなぁ、残念という反応だ。
全国で行われている祭りの流れの一環であるという視点が失われたんだなぁと感じている。
ゴミの問題、駐車の問題などは、明らかに参加者の意識の問題だ。
今年参加した獏原人の満月祭などはほとんど何の注意も聞こえてこなくてもキレイだった。
これが当然であったのだ。
コンビニエンスなイベントが増え、入場料を払ってサービスを受ける事に慣れた一部の人々が、祭の意識を汚している。
そして、そういう人間もいるのだからと警備や縛りをきつくしようという声が大きくなる。テロ対策と同じ構造かな。
祭の空気を大切にすることは技術ではないんだなぁ。
必ず現れる異物を、ただ警戒したり排除するのではなく、受け入れるだけの器量を持てるかという事のような気がする。
システムをしっかり構築すれば、成功するわけではないね。
そういうしっかりというのは主催者側のイメージで、弱いもの、反発分子を懐柔できない。
世のイベントの多くは、今や国家のテロ対策と相似形の異物排除に向かっているようだが、異物に対する想像力と優しさがない限り解決はないのだろう。
祭の本質は、精神の爆発、神に触れる感覚だ。
当然、少々の危険が伴うのが当たり前なのだが、現代は子供にナイフを持たせない的な安全志向全盛で、精神の試練の場であることが、ほとんど無視されて、ただのお楽しみのレジャー感覚ばかり増幅しているように思う。
特に伝統的祭以外の新参者の祭では無礼講に対する周囲の理解を得ることは、困難ですべてが消毒されていく。消毒されては本質はなくなる。
町場で行われてきた希少な祭、はらっぱ祭りは主催者の思惑以上に全国的な意味を増していき、現代社会に足りない何かを感じさせる催しになっていき多くの人の興味を引き拡大していった。
これは必然であったのだろう。少数のスタッフの努力や思惑を超えた流れが出来たのだが、ステージが3っになったのが象徴するように、中心がぶれてしまったのかもしれない。
あれだけ多くの人達が惹かれて来た事をどう捉えればいいのか。
その事は、今や現実への対処の中に棚上げされているようだ。
私は、全国の友人達の東京での希少な再開の場が現状では持てなくなったのを残念に思うのみである。
by voice-of-sora
| 2006-09-03 23:38