2006年 11月 13日
出さなかった手紙 |
noriの日記の場で長文はマズイかと思いメッセージで送ります。
言い合いをしたいわけではないので、
2003年までも、出来るだけの努力をしてきたはずです。
何も、いい加減な気持ちや悪意などがあったわけでもないですよ。
私が行かなくなったのは、「何をやりたくてはらっぱ祭りを再開したいのか」という質問を
ずっと無視されたから、諦めたのです。
はらっぱ祭りでなくてもいいのか、はらっぱ祭りでなければならないのか気持ちを知りたかった。
それは、今でもカオルさんには訊きたいです。
何度か、もう決まったことに今更水を差すようなことをしないでくれと、どんどん進めていく
やり方に正直ついて行けませんでした。
単に、抵抗勢力のように見られている事に、何度かショックでしたよ。
今までのことを、ただ程度の低いもののように扱う姿勢が情けなくてね。
どうして、そんなに、はらっぱ祭りを再開したかったんだろう。
楽しかったから? そのような感じは、あなたからは、ほとんど受けませんでした。
私は、年に一度全国の友人達と会える、あの場所で演奏することが出来る。
昔から続けて関わってきた色んな祭りの一つが小金井という町場でも行われている素晴らしさを感じて、
数年前からスタッフとして関わり始めたんです。
ホームページを立ち上げ、かなりの負担を受け持って来たつもりです。
貧乏でボランティアなんてしてていいのかという気持ちも抱えつつ随分の
負担を最終的には祭りで昇華してたんです。
17回目であのような反響が起きたよね。
大麻の看板をきっかけに、それまでの許容範囲が劇的に変化を起こして
マイナス面がクローズアップされました。
ある意味、とうとうそういう思想に寛容でない時代が来たのかという気持ちも持ちました。
もう、止めるべき時期なのかもと思ったのも事実です。
はらっぱ祭りの底流にある自由な気質は、これ以上無理かもしれないと思ったのも事実です。
ワガママと言われるかも知れませんが、本音を隠す生き方は窮屈だし、本音=ワルでもないですからね。
今回の祭りを喜んだ人が多くいたことは事実だし、それは前からはらっぱ祭りを
好きで来てた人達が多くいたからというのも事実でしょう。
なぜ、地元地元を強調するんでしょうか。地元の公園だから?
小金井は東京都の中でも公園に関しては、すごく贅沢な環境です。
その事も、広範囲の人達が集まる理由の一つでしょう。
普段から利用できる人達だけのような捉え方にも違和感がありました。あそこは都立公園ですよ。
マナーの問題は地元、地元ではないの問題ではないはずです。
国立や国分寺の人間は地元ではないような物言いも切なかったです。
国立などは小金井公園、武蔵野公園、野川公園みたいな原っぱはありません。
その辺りに対する気遣いも感じない物言いをしませんでしたか。
ミーティングに来ないで×××しないで・・という言い方はいい加減止めませんか。
今回だって、実際に働いている人でミーティングには来たことのない人が沢山いたはずです。
それはいつものことなんですよ。今までのスタッフはみんな、そんなことは知っていました。
土台を支える多くの人が居ることに対する思いを持って準備してましたか?
全国の友人にはらっぱ祭りの事を聞かれ、一日だけの規模でやっているようだと伝えると、
一様にがっかりして、そうか、それじゃいけないなと異口同音でした。全国で行われている祭り・・
ほとんどゴミの問題もない環境に気を遣った伝統の上に続く祭りの流れにはらっぱ祭りもあったんですよ。
ゴミ問題や環境に無頓着な一般社会に対して、生き方でカウンター文化を模索し続けてきた
仲間達です。
そういう視点は完全に無視され、地元の祭りという、よく解らないコンセプトに、距離を
持つことにしたんですよ。
来年は、どうするのかな。
規模を大きくすることは、かおるさんならいやでしょう。
オレも、無理しては台無しかなと思ってます。
しかし、今回は、しばらくやれなかったから、やれたことで嬉しいということでいいです。
しかし、オレは言いませんが、日にちを増やしたいという話がでるでしょう。
それに対してどう考えますか。人を呼ばないのですか?
再開したということは、拡大の流れに対応をしなければならないということです。
17回目の出来事の本質は、まだ見えないのかも知れません。
17回目の経験と反省から、いい方法を見つけて下さい。
そして、少なくとも、はらっぱ祭りに、そこまで付き合って下さい。
言い合いをしたいわけではないので、
2003年までも、出来るだけの努力をしてきたはずです。
何も、いい加減な気持ちや悪意などがあったわけでもないですよ。
私が行かなくなったのは、「何をやりたくてはらっぱ祭りを再開したいのか」という質問を
ずっと無視されたから、諦めたのです。
はらっぱ祭りでなくてもいいのか、はらっぱ祭りでなければならないのか気持ちを知りたかった。
それは、今でもカオルさんには訊きたいです。
何度か、もう決まったことに今更水を差すようなことをしないでくれと、どんどん進めていく
やり方に正直ついて行けませんでした。
単に、抵抗勢力のように見られている事に、何度かショックでしたよ。
今までのことを、ただ程度の低いもののように扱う姿勢が情けなくてね。
どうして、そんなに、はらっぱ祭りを再開したかったんだろう。
楽しかったから? そのような感じは、あなたからは、ほとんど受けませんでした。
私は、年に一度全国の友人達と会える、あの場所で演奏することが出来る。
昔から続けて関わってきた色んな祭りの一つが小金井という町場でも行われている素晴らしさを感じて、
数年前からスタッフとして関わり始めたんです。
ホームページを立ち上げ、かなりの負担を受け持って来たつもりです。
貧乏でボランティアなんてしてていいのかという気持ちも抱えつつ随分の
負担を最終的には祭りで昇華してたんです。
17回目であのような反響が起きたよね。
大麻の看板をきっかけに、それまでの許容範囲が劇的に変化を起こして
マイナス面がクローズアップされました。
ある意味、とうとうそういう思想に寛容でない時代が来たのかという気持ちも持ちました。
もう、止めるべき時期なのかもと思ったのも事実です。
はらっぱ祭りの底流にある自由な気質は、これ以上無理かもしれないと思ったのも事実です。
ワガママと言われるかも知れませんが、本音を隠す生き方は窮屈だし、本音=ワルでもないですからね。
今回の祭りを喜んだ人が多くいたことは事実だし、それは前からはらっぱ祭りを
好きで来てた人達が多くいたからというのも事実でしょう。
なぜ、地元地元を強調するんでしょうか。地元の公園だから?
小金井は東京都の中でも公園に関しては、すごく贅沢な環境です。
その事も、広範囲の人達が集まる理由の一つでしょう。
普段から利用できる人達だけのような捉え方にも違和感がありました。あそこは都立公園ですよ。
マナーの問題は地元、地元ではないの問題ではないはずです。
国立や国分寺の人間は地元ではないような物言いも切なかったです。
国立などは小金井公園、武蔵野公園、野川公園みたいな原っぱはありません。
その辺りに対する気遣いも感じない物言いをしませんでしたか。
ミーティングに来ないで×××しないで・・という言い方はいい加減止めませんか。
今回だって、実際に働いている人でミーティングには来たことのない人が沢山いたはずです。
それはいつものことなんですよ。今までのスタッフはみんな、そんなことは知っていました。
土台を支える多くの人が居ることに対する思いを持って準備してましたか?
全国の友人にはらっぱ祭りの事を聞かれ、一日だけの規模でやっているようだと伝えると、
一様にがっかりして、そうか、それじゃいけないなと異口同音でした。全国で行われている祭り・・
ほとんどゴミの問題もない環境に気を遣った伝統の上に続く祭りの流れにはらっぱ祭りもあったんですよ。
ゴミ問題や環境に無頓着な一般社会に対して、生き方でカウンター文化を模索し続けてきた
仲間達です。
そういう視点は完全に無視され、地元の祭りという、よく解らないコンセプトに、距離を
持つことにしたんですよ。
来年は、どうするのかな。
規模を大きくすることは、かおるさんならいやでしょう。
オレも、無理しては台無しかなと思ってます。
しかし、今回は、しばらくやれなかったから、やれたことで嬉しいということでいいです。
しかし、オレは言いませんが、日にちを増やしたいという話がでるでしょう。
それに対してどう考えますか。人を呼ばないのですか?
再開したということは、拡大の流れに対応をしなければならないということです。
17回目の出来事の本質は、まだ見えないのかも知れません。
17回目の経験と反省から、いい方法を見つけて下さい。
そして、少なくとも、はらっぱ祭りに、そこまで付き合って下さい。
by voice-of-sora
| 2006-11-13 22:14