2008年 01月 28日
犬殺しのアートパフォーマンスについて |
アートなんて人の欲望の一つかもしれないね。
アートだからどうなんて関係ない。
その行為をどう感じるかというより、何か魂や愛を感じたいものだ。
この行為に対して、反対署名が沢山くれば、そいつは喜ぶような気がする。
哀しいことだが、病んでいる魂はこの世に沢山存在している。
肥大した欲望や殺し合いは、目の前でなくとも現実に溢れている。
命を感じさせたいがために、考えがこんがらがってうさぎを殺すことに走った奴を知っている。
彼はその後のトラウマからクリスチャンになってしまったけれどね。
自動的に殺される動物をほとんどの人間が感謝もなしに食っている。
食っているならまだいいが、膨大な量捨てている。
この世の中に、一方的に悪とか狂気として済ませられるものなどあるんだろうか。
こういう現実を見て、人間を霊長という意識ヒューマニズムで弁護するのか、自然破壊のバイ菌としてナチュラリズムで非難するのか。
どちらにしても、いつも自分にも返ってくる。
おれは、今ではとても、このような行為はできないだろうが、子供の頃、蛙を何匹も虐殺したこともある。
雑に動物を食べることもある。
人間、罪深さを感じること、罪とは無縁だと感じることのどちらがマシなんだろうか。
これをアートと思っている人間の魂を誰が救えるんだろうか。
傍観、傍観できなくなったらこの世の現実に人間は耐え続けられるんだろうか。
果てしない矛盾と計り知れない多様な価値観の前で、哀しむことだけはできます。
アートだからどうなんて関係ない。
その行為をどう感じるかというより、何か魂や愛を感じたいものだ。
この行為に対して、反対署名が沢山くれば、そいつは喜ぶような気がする。
哀しいことだが、病んでいる魂はこの世に沢山存在している。
肥大した欲望や殺し合いは、目の前でなくとも現実に溢れている。
命を感じさせたいがために、考えがこんがらがってうさぎを殺すことに走った奴を知っている。
彼はその後のトラウマからクリスチャンになってしまったけれどね。
自動的に殺される動物をほとんどの人間が感謝もなしに食っている。
食っているならまだいいが、膨大な量捨てている。
この世の中に、一方的に悪とか狂気として済ませられるものなどあるんだろうか。
こういう現実を見て、人間を霊長という意識ヒューマニズムで弁護するのか、自然破壊のバイ菌としてナチュラリズムで非難するのか。
どちらにしても、いつも自分にも返ってくる。
おれは、今ではとても、このような行為はできないだろうが、子供の頃、蛙を何匹も虐殺したこともある。
雑に動物を食べることもある。
人間、罪深さを感じること、罪とは無縁だと感じることのどちらがマシなんだろうか。
これをアートと思っている人間の魂を誰が救えるんだろうか。
傍観、傍観できなくなったらこの世の現実に人間は耐え続けられるんだろうか。
果てしない矛盾と計り知れない多様な価値観の前で、哀しむことだけはできます。
by voice-of-sora
| 2008-01-28 21:04