2008年 06月 18日
てのひらまつりに行ってきた |
奥秩父の長瀞で行われていた「てのひらまつり」に行ってきた。
朝、友人の車に便乗して出発。
梅雨にもかかわらず、えらくいい天気でよかった。
会場には、沢山の人がいて、なかなか盛況。
ほとんど車で来ているとみえ、駐車スペースには車が沢山止まっていた。
昔のヒッピー祭りなら、車はほとんどいなかったけれどね。
これが現代なんでしょう。オレも車で行ってるんだから何をかいわんや・・かな?
さすがに同世代人は、かなり少なく、昔のカウンターカルチャーの流れを知ってる友人はホンの数えるほどしかいない。
大鹿のアキ、北海道のシロウ、南正人、最近本を出したというサワ、それにお祭ポン、そうそう昔、吉祥寺でカリフラワーという店をやっていたキヨシもいた。麻の弁護士丸井さんもいたな。あと数人、昔から顔だけは知っている連中。
まぁ、環境の事、原発の事、チベットの事、などのテーマが感じられたけれど、オレはどうも、熱くなれる話題ではなかった。
それらが、どうでもいいと言っているのではなく、単純ではないと言うことだけだが。
人間、まず、一人称でものを考えなければいけないと思う。
我々や、俺たちって、なんかリアリティーを感じないんだなぁ。
自分をはじめとして、日本人などは、色んな問題の加害者側にいるんだという視点が頭から離れない。
中央にあるステージは、多分草木染めの布で装飾されオーガニックな雰囲気満点でいい感じだ。
ステージでの演奏はソーラー発電による小さな電源で、小さなスピーカーでやっていた。それをFM電波で飛ばし、各人がラジオで受け取るというシステムがとられ、それはなかなか面白かった。
でもね、この大量の車の誰か一人、車で来なければ、そのエネルギーで、もう少しよく聞こえるPAを数時間使えるんじゃないかという思いを払拭できない。
エネルギーを使わないのがいいのか、エネルギーの無駄遣いがよくないのか、化石燃料、原子力、薪、太陽、水力・・。
価値観の転換は頻繁に起こるものだ。
いいこと、悪いこと、の転換も頻繁に起こる。
ムーブメント、大きいもの、小さいもの、正義感、怒り、仲間意識、差別意識、本当にどう生きるのがいいんだろうね。
一つの命に相当する動きって、どんなものだろう。
力やエネルギーの使い方、若者の持つ熱い強い力や情熱は、どう使うのが自然なんだろう。荒い行動も必要だったはず。
畑を耕す、獲物を捕獲し殺す、無駄なく食べる、命に感謝する。
ハエや蚊も殺せないようではダメだとチベットの僧に言われた友人がいた。
てのひらまつりに集まるような若者は、総じて穏やかな人が多いようだが、世間には矛盾や理不尽に怒り、ついには価値観が破壊されたかのような精神も沢山存在するようになっている。
そういう現実を、対局と見ては、なんらかの争いの種になる。誰も自分たちが上にいると神に保証されているわけではない。
自分たちの方が正しいと思うのも危険なのだ。
現実にいる、怒り、しらけ、投げやりな精神にまともにぶつかり、反発、もみ合い、理解し、そして愛し合える・・きれい事では済まないのがこの世界なんじゃないかな。
朝、友人の車に便乗して出発。
梅雨にもかかわらず、えらくいい天気でよかった。
会場には、沢山の人がいて、なかなか盛況。
ほとんど車で来ているとみえ、駐車スペースには車が沢山止まっていた。
昔のヒッピー祭りなら、車はほとんどいなかったけれどね。
これが現代なんでしょう。オレも車で行ってるんだから何をかいわんや・・かな?
さすがに同世代人は、かなり少なく、昔のカウンターカルチャーの流れを知ってる友人はホンの数えるほどしかいない。
大鹿のアキ、北海道のシロウ、南正人、最近本を出したというサワ、それにお祭ポン、そうそう昔、吉祥寺でカリフラワーという店をやっていたキヨシもいた。麻の弁護士丸井さんもいたな。あと数人、昔から顔だけは知っている連中。
まぁ、環境の事、原発の事、チベットの事、などのテーマが感じられたけれど、オレはどうも、熱くなれる話題ではなかった。
それらが、どうでもいいと言っているのではなく、単純ではないと言うことだけだが。
人間、まず、一人称でものを考えなければいけないと思う。
我々や、俺たちって、なんかリアリティーを感じないんだなぁ。
自分をはじめとして、日本人などは、色んな問題の加害者側にいるんだという視点が頭から離れない。
中央にあるステージは、多分草木染めの布で装飾されオーガニックな雰囲気満点でいい感じだ。
ステージでの演奏はソーラー発電による小さな電源で、小さなスピーカーでやっていた。それをFM電波で飛ばし、各人がラジオで受け取るというシステムがとられ、それはなかなか面白かった。
でもね、この大量の車の誰か一人、車で来なければ、そのエネルギーで、もう少しよく聞こえるPAを数時間使えるんじゃないかという思いを払拭できない。
エネルギーを使わないのがいいのか、エネルギーの無駄遣いがよくないのか、化石燃料、原子力、薪、太陽、水力・・。
価値観の転換は頻繁に起こるものだ。
いいこと、悪いこと、の転換も頻繁に起こる。
ムーブメント、大きいもの、小さいもの、正義感、怒り、仲間意識、差別意識、本当にどう生きるのがいいんだろうね。
一つの命に相当する動きって、どんなものだろう。
力やエネルギーの使い方、若者の持つ熱い強い力や情熱は、どう使うのが自然なんだろう。荒い行動も必要だったはず。
畑を耕す、獲物を捕獲し殺す、無駄なく食べる、命に感謝する。
ハエや蚊も殺せないようではダメだとチベットの僧に言われた友人がいた。
てのひらまつりに集まるような若者は、総じて穏やかな人が多いようだが、世間には矛盾や理不尽に怒り、ついには価値観が破壊されたかのような精神も沢山存在するようになっている。
そういう現実を、対局と見ては、なんらかの争いの種になる。誰も自分たちが上にいると神に保証されているわけではない。
自分たちの方が正しいと思うのも危険なのだ。
現実にいる、怒り、しらけ、投げやりな精神にまともにぶつかり、反発、もみ合い、理解し、そして愛し合える・・きれい事では済まないのがこの世界なんじゃないかな。
by voice-of-sora
| 2008-06-18 16:22