2008年 07月 14日
1975年 |
1975年、長年続いてきたベトナム戦争も、末期を迎えていた。
その前身基地である日本にも、戦争の影が色濃く覆い、ベビーブーマーの若者達は、学生運動デモ、ヒッピームーブメント、パフォーマンス文化を花開かせ、既成戦争公認の政府の意に反する行動を繰り広げていた。
1975年、まさにその年、カウンターカルチャーシーンではピースキャラバンという全国的なムーブメントが起こっていた。
アケトは、こういう時代に、その空気を胸一杯吸いこみ結成されたのである。
その始まりの宮崎市内でのコンサートには、アケトの他、喜多郎、久保田真琴など多くのミュージシャンが駆けつけていた。
派手ではなかったが、これがその後高まっていくピースキャラバンの始まりだったのだ。
4月20日に行われた御殿場での花祭りコンサートは、伝説となるほどの盛り上がりを見せ、そこでアケトは奇跡のステージを成すのである。南正人、アシッドセブン、裸のラリーズ、久保田真琴と夕焼け楽団などのパフォーマンスが狂喜のウチに行われた。その様子の片鱗を映画「花まつり」(藤枝静樹監督、16ミリ、約75分 1975)で観ることが出来る。京都での京大西部講堂での演奏も驚異的である。まさに奇跡が続いていたと思える空気を伝える音源も残っている。
当時、今ほどインド旅行をする人は少なかった中、国際的な多くの旅行者がこれほど一同に会するイベントを続けられたこと自体、不思議なくらいである。
6月にはこれまた伝説の神奈川大学オールナイトレインボウショー、大変な盛り上がりを見せ、もう狂気を通りこすほどの世界を繰り広げた。
真夏の広島での集まりも象徴的で印象深いものであった。多くの心が平和を祈り、共に旅をしたのである。この年は本当に大きな山のようでであった。
その前身基地である日本にも、戦争の影が色濃く覆い、ベビーブーマーの若者達は、学生運動デモ、ヒッピームーブメント、パフォーマンス文化を花開かせ、既成戦争公認の政府の意に反する行動を繰り広げていた。
1975年、まさにその年、カウンターカルチャーシーンではピースキャラバンという全国的なムーブメントが起こっていた。
アケトは、こういう時代に、その空気を胸一杯吸いこみ結成されたのである。
その始まりの宮崎市内でのコンサートには、アケトの他、喜多郎、久保田真琴など多くのミュージシャンが駆けつけていた。
派手ではなかったが、これがその後高まっていくピースキャラバンの始まりだったのだ。
4月20日に行われた御殿場での花祭りコンサートは、伝説となるほどの盛り上がりを見せ、そこでアケトは奇跡のステージを成すのである。南正人、アシッドセブン、裸のラリーズ、久保田真琴と夕焼け楽団などのパフォーマンスが狂喜のウチに行われた。その様子の片鱗を映画「花まつり」(藤枝静樹監督、16ミリ、約75分 1975)で観ることが出来る。京都での京大西部講堂での演奏も驚異的である。まさに奇跡が続いていたと思える空気を伝える音源も残っている。
当時、今ほどインド旅行をする人は少なかった中、国際的な多くの旅行者がこれほど一同に会するイベントを続けられたこと自体、不思議なくらいである。
6月にはこれまた伝説の神奈川大学オールナイトレインボウショー、大変な盛り上がりを見せ、もう狂気を通りこすほどの世界を繰り広げた。
真夏の広島での集まりも象徴的で印象深いものであった。多くの心が平和を祈り、共に旅をしたのである。この年は本当に大きな山のようでであった。
by voice-of-sora
| 2008-07-14 12:00