2008年 08月 14日
平常レベル |
最近、とみに演奏時の心のあり方に変化が顕著な気がする。
パワーをもっとも平常なレベルに維持する事に魅力を感じるのである。
ただ静かにとかそういうことではなく、心が360度空気を感じられる状態と言えばいいか。
具体的に言えば、部屋で好きに演奏しているレベルの力加減ということかも知れない。
これは、意外とむつかしい。
言葉を伝える声も、奏でる音もタイミングも、すぐ強めになりがちなものである。
ものを表現する時に、人間ってついつい気負ったり、飾ったり、見栄を張ったりしがちで、
それが多くの場合マイナスに働く、いや、見る人が見れば全部見えてしまう。
唄は、それがその人の自然な声や言葉を不必要な気負いなしで出せるときに、
もっとも聴く人の心に届きやすくなるのではと感じている。
というか、自分が聴く立場にあるとき、そう感じるのだ。
昔と違い、マイクなどが優秀な現在、1m前の人に伝われば、100m先でもほぼ同じに伝わる。
PAなどない時代では、オペラのような特技も必要だったかも知れないが、その時代であれば、
多分、幼い頃、喉を痛めたオレに歌うという道はあり得なかったかも知れない。
でも、現実に囁き声さえマイクは拾ってくれる。
パワーをもっとも平常なレベルに維持する事に魅力を感じるのである。
ただ静かにとかそういうことではなく、心が360度空気を感じられる状態と言えばいいか。
具体的に言えば、部屋で好きに演奏しているレベルの力加減ということかも知れない。
これは、意外とむつかしい。
言葉を伝える声も、奏でる音もタイミングも、すぐ強めになりがちなものである。
ものを表現する時に、人間ってついつい気負ったり、飾ったり、見栄を張ったりしがちで、
それが多くの場合マイナスに働く、いや、見る人が見れば全部見えてしまう。
唄は、それがその人の自然な声や言葉を不必要な気負いなしで出せるときに、
もっとも聴く人の心に届きやすくなるのではと感じている。
というか、自分が聴く立場にあるとき、そう感じるのだ。
昔と違い、マイクなどが優秀な現在、1m前の人に伝われば、100m先でもほぼ同じに伝わる。
PAなどない時代では、オペラのような特技も必要だったかも知れないが、その時代であれば、
多分、幼い頃、喉を痛めたオレに歌うという道はあり得なかったかも知れない。
でも、現実に囁き声さえマイクは拾ってくれる。
by voice-of-sora
| 2008-08-14 10:12