2008年 10月 20日
芸術 |
芸術なんて、どうでもいいのだ。
岡本太郎の「今日の芸術」は高校生のオレの目を開かせてくれた。
高校生という多感な時期に岡本太郎に出会ったのは非常に幸運だったと思っている。おかげで俗物芸術家に落ち込む危険を回避できた。
普通のこと、けっして立派でも、かっこよくもない普通のこと。
美大、美術誌などがカルト芸術家?を沢山生み出しているけれど、何の意味もない。近代芸術というのは、生活から芸術を切り離してビジネスにした連中の演出だったのだ。印象派からが大いに商売になったわけである。
実際は、すべて個人個人の中にあるもの。
専門家など必要ない。誰だって見れば、何かを感じる。
名前や能書きが気になるようでは、感性傷害としかいいようがない。
アートは行為である。
ただ歓びのため、ひたすらひたむきに制作する人は素晴らしい・・・が、能書きたれたれ、芸術家のつもりは、即刻消え去れ。
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顔を見て、その造作ではなく何かいいものを感じる。
いい顔してると普通に言う。
勿論、顔じゃなくてもいい。
いろんなもののたたずまい、受け取る感性が加味されて成り立つ快感。
芸術作品という能書きがあろうとも物はただの物。
歌でも音楽でもそう。
上手いとかの技術より、にじみ出るものにいい感じを受ける。
それが歓びを生む。
作者の手柄なんて考えるのは姑息な生き方。
オレは淡々としたコミュニケーションが起こせるものを愛でたいだけだな。
どんなに技術を磨いても、どんなに表現を研究しても
それこそ、その存在が光ってなければ、それが見えちゃうってものでは?
どんなに芸術家たらんとしても、一般人の「何?これ?」は正確な批評だということ。
デュシャンは、芸術オタクをからかったんだろうね。
岡本太郎の「今日の芸術」は高校生のオレの目を開かせてくれた。
高校生という多感な時期に岡本太郎に出会ったのは非常に幸運だったと思っている。おかげで俗物芸術家に落ち込む危険を回避できた。
普通のこと、けっして立派でも、かっこよくもない普通のこと。
美大、美術誌などがカルト芸術家?を沢山生み出しているけれど、何の意味もない。近代芸術というのは、生活から芸術を切り離してビジネスにした連中の演出だったのだ。印象派からが大いに商売になったわけである。
実際は、すべて個人個人の中にあるもの。
専門家など必要ない。誰だって見れば、何かを感じる。
名前や能書きが気になるようでは、感性傷害としかいいようがない。
アートは行為である。
ただ歓びのため、ひたすらひたむきに制作する人は素晴らしい・・・が、能書きたれたれ、芸術家のつもりは、即刻消え去れ。
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顔を見て、その造作ではなく何かいいものを感じる。
いい顔してると普通に言う。
勿論、顔じゃなくてもいい。
いろんなもののたたずまい、受け取る感性が加味されて成り立つ快感。
芸術作品という能書きがあろうとも物はただの物。
歌でも音楽でもそう。
上手いとかの技術より、にじみ出るものにいい感じを受ける。
それが歓びを生む。
作者の手柄なんて考えるのは姑息な生き方。
オレは淡々としたコミュニケーションが起こせるものを愛でたいだけだな。
どんなに技術を磨いても、どんなに表現を研究しても
それこそ、その存在が光ってなければ、それが見えちゃうってものでは?
どんなに芸術家たらんとしても、一般人の「何?これ?」は正確な批評だということ。
デュシャンは、芸術オタクをからかったんだろうね。
by voice-of-sora
| 2008-10-20 15:18