2009年 03月 10日
似非自由 |
自然のスピードがゆっくりかというと、そうでもない。
空飛ぶ鳥の感覚はどう見ても素早い。
もしかすると、ゆっくり出来るのは、素早い感覚の持ち主だけかも知れない。
鳶のように、悠々と空を舞い、素早くエサに飛びかかれるもの。
猫類がのんびりしてるのも、いざというときのスピードを持っているからかも知れない。
人間は、遅く、力もなく、地面をはいずるしかできないから、策を弄する能力を得たのかも。策を弄する能力とは、生きるために発達したのだろうが、限りある資源という認識のない世界で発達し続けた。
勿論、賢者は限りを認識していて、適正循環を説いていたが、多くのものは、ただ目先の利益に生存の保証を見ていた。
群れで生きる人類は、その群れの掟を遵守するべきなのかも知れないが、策を弄する能力とは、どうもそのこととは矛盾する能力のようだ。策を弄し、利益を得て権力を得た人間は、その権力を自分の自由というワガママの形態を求めていくようになっていく。
その生き方は、多くの隷属する連中の憧れと変化し、現実にはあり得ない個人の自由という似非権利の妄想に入っていく。
それをも利用して、先に権力を握っている一握りの集団は、その妄想自由をエサに、より権力を強固にしていき、自由の代償として多大な見返りを要求しながら、従順な反権力者を育ててきたのである。
全ての富は、最終的に民衆のものではなく、貸し与えられているだけである。いつでも、それを奪い取ることが出来る仕組みを作ったのだ。
知らないのは、似非自由を与えられていると信じる民衆のみである。
空飛ぶ鳥の感覚はどう見ても素早い。
もしかすると、ゆっくり出来るのは、素早い感覚の持ち主だけかも知れない。
鳶のように、悠々と空を舞い、素早くエサに飛びかかれるもの。
猫類がのんびりしてるのも、いざというときのスピードを持っているからかも知れない。
人間は、遅く、力もなく、地面をはいずるしかできないから、策を弄する能力を得たのかも。策を弄する能力とは、生きるために発達したのだろうが、限りある資源という認識のない世界で発達し続けた。
勿論、賢者は限りを認識していて、適正循環を説いていたが、多くのものは、ただ目先の利益に生存の保証を見ていた。
群れで生きる人類は、その群れの掟を遵守するべきなのかも知れないが、策を弄する能力とは、どうもそのこととは矛盾する能力のようだ。策を弄し、利益を得て権力を得た人間は、その権力を自分の自由というワガママの形態を求めていくようになっていく。
その生き方は、多くの隷属する連中の憧れと変化し、現実にはあり得ない個人の自由という似非権利の妄想に入っていく。
それをも利用して、先に権力を握っている一握りの集団は、その妄想自由をエサに、より権力を強固にしていき、自由の代償として多大な見返りを要求しながら、従順な反権力者を育ててきたのである。
全ての富は、最終的に民衆のものではなく、貸し与えられているだけである。いつでも、それを奪い取ることが出来る仕組みを作ったのだ。
知らないのは、似非自由を与えられていると信じる民衆のみである。
by voice-of-sora
| 2009-03-10 15:56