2010年 07月 27日
柔軟なグルーヴ |
最近、唄を歌いながら並奏するギターとのカラミで感じていること。
グルーヴって、伸ばしたり縮めたりしても流れが出来ること。
メトロノームやシークエンサーは、ただの時計であること。
メトロノームに合わせて演奏することは簡単だが、その逆は不可能。
要はカラオケは実演奏とは似て非なる音空間であること。
今時の音楽の底の浅さは機械的等間隔を神としていることだ。
シークエンサーが出現してから、この微妙な原理に足を踏み込む人が
いなくなってるんじゃないかなどと・・・・発見が多い。
音量に関しても、独りでやってると、そのダイナミックレンジを大いに使える自由さを感じる。
要は、基本は無音。その中では、かすかな音もしっかり存在できること。
グルーヴと同じで、平均した音量の組み合わせという捉え方もシークエンサー中心のプログラム音楽から普通だと信じられるようになってるのかも知れない。でも、それは、無が基本ではないな。
アナログ楽器では、無と有の間は無限にあるのだが、デジタル音源などでは無と有の間ははっきり0と1なのだ。こればっかりはどうしようもない事だ。
まぁ、そんな微妙な事を気にしなくても音楽は出来るというのも本当だろう。でも、知ってて欲しいと思う。音楽の魔法性は音のしない空間にもっとも存在するのじゃないかな。
グルーヴって、伸ばしたり縮めたりしても流れが出来ること。
メトロノームやシークエンサーは、ただの時計であること。
メトロノームに合わせて演奏することは簡単だが、その逆は不可能。
要はカラオケは実演奏とは似て非なる音空間であること。
今時の音楽の底の浅さは機械的等間隔を神としていることだ。
シークエンサーが出現してから、この微妙な原理に足を踏み込む人が
いなくなってるんじゃないかなどと・・・・発見が多い。
音量に関しても、独りでやってると、そのダイナミックレンジを大いに使える自由さを感じる。
要は、基本は無音。その中では、かすかな音もしっかり存在できること。
グルーヴと同じで、平均した音量の組み合わせという捉え方もシークエンサー中心のプログラム音楽から普通だと信じられるようになってるのかも知れない。でも、それは、無が基本ではないな。
アナログ楽器では、無と有の間は無限にあるのだが、デジタル音源などでは無と有の間ははっきり0と1なのだ。こればっかりはどうしようもない事だ。
まぁ、そんな微妙な事を気にしなくても音楽は出来るというのも本当だろう。でも、知ってて欲しいと思う。音楽の魔法性は音のしない空間にもっとも存在するのじゃないかな。
by voice-of-sora
| 2010-07-27 01:35