2011年 08月 08日
鈍感と神経質のはざま |
長年、なるべく自然な食べものを採るように気をつけて来た。
それは70年代中盤からだったろう。
当時、西荻窪に住んでいた私は、ホビット村というカウンターカルチャー施設の創設に関わりナモ商会という有機無農薬野菜屋のとも交流を持ち、そこで、色んな野菜や食物の問題を知ることになった。
農薬、化学肥料、添加物にまみれた食物が巷に溢れかえっている事を知った。
現在、世間の意識が少しは改善され、状況も少しは改善されているのかも知れないが、巷に出回る食べ物や飲料には無数の添加物が入っている。
国が無害と認定しているのかも知れないが、普通、自分で作れば絶対に入れないような物質が混入されている。甘み成分、粘り成分、香料、酸化防止剤、増量物質などいろいろなワケのわからないモノを食べさせられているのだ。
なぜだろう。商品管理優先でやられているんだと思う。
国も経済優先だから、なんでも認めちゃうんだろうね。
こんな、大手企業が作る包装過多の偽物より、種類は少なくてもいい、目の前で作られたおいしそうな食べ物を食べたい。
もしかすると、国民の多くが、すでに慣らされていて、好物も既製品しか思いつかないようになっているかもしれないし、多分、少なからず、そういう状態であろうとは容易に想像出来る。
有機無農薬で栽培された玄米を食べ、砂糖類はなるべく採らず、せめて甘みは黒砂糖や蜂蜜で採る。
添加物一杯のタバコはやめた。吸う気は最早ないが、もし吸うとしても無添加のキザミタバコがベターだと思っている。
酒も、本来の酒は少ない。醸造用アルコールってエチルアルコールなのかな。
発泡酒 ビールではないらしい。ビール風飲料?ってこと。みりん風と同じかな。
とにかく、大量に作る為に、効率を上げる為に、オートメーションをやりやすくする為に、添加物は使われているのだ。
本来の味は、添加物の食感や香りのないところにあったはずだが、それも、最早ワケがわからない段階まで来てしまってる。
こういう事を、細かく言う私は神経質なんだろうか。
普通の食べ物を食べたいだけなんだが。
安全な食べ物という言い方があるが、逆に言うと危険な食べ物だらけという事だ。
それは70年代中盤からだったろう。
当時、西荻窪に住んでいた私は、ホビット村というカウンターカルチャー施設の創設に関わりナモ商会という有機無農薬野菜屋のとも交流を持ち、そこで、色んな野菜や食物の問題を知ることになった。
農薬、化学肥料、添加物にまみれた食物が巷に溢れかえっている事を知った。
現在、世間の意識が少しは改善され、状況も少しは改善されているのかも知れないが、巷に出回る食べ物や飲料には無数の添加物が入っている。
国が無害と認定しているのかも知れないが、普通、自分で作れば絶対に入れないような物質が混入されている。甘み成分、粘り成分、香料、酸化防止剤、増量物質などいろいろなワケのわからないモノを食べさせられているのだ。
なぜだろう。商品管理優先でやられているんだと思う。
国も経済優先だから、なんでも認めちゃうんだろうね。
こんな、大手企業が作る包装過多の偽物より、種類は少なくてもいい、目の前で作られたおいしそうな食べ物を食べたい。
もしかすると、国民の多くが、すでに慣らされていて、好物も既製品しか思いつかないようになっているかもしれないし、多分、少なからず、そういう状態であろうとは容易に想像出来る。
有機無農薬で栽培された玄米を食べ、砂糖類はなるべく採らず、せめて甘みは黒砂糖や蜂蜜で採る。
添加物一杯のタバコはやめた。吸う気は最早ないが、もし吸うとしても無添加のキザミタバコがベターだと思っている。
酒も、本来の酒は少ない。醸造用アルコールってエチルアルコールなのかな。
発泡酒 ビールではないらしい。ビール風飲料?ってこと。みりん風と同じかな。
とにかく、大量に作る為に、効率を上げる為に、オートメーションをやりやすくする為に、添加物は使われているのだ。
本来の味は、添加物の食感や香りのないところにあったはずだが、それも、最早ワケがわからない段階まで来てしまってる。
こういう事を、細かく言う私は神経質なんだろうか。
普通の食べ物を食べたいだけなんだが。
安全な食べ物という言い方があるが、逆に言うと危険な食べ物だらけという事だ。
by voice-of-sora
| 2011-08-08 10:05