2023年 11月 09日
ある種の牢獄 |
古いハードディスクからこんな文章が出てきた。たいしたものではないが、備忘録として出しておくか。
「私たち人間は、私たち自身および思考や感情を、私たち以外の世界から切り離されたものとして経験している----しかし、これは人間の認識(の限界)に由来する視覚的な妄想の一種なのだ。この妄想はある種の牢獄のようなもので、ごく個人的な欲望や、ごく周囲にいる限られた人たちに対する愛情に私たちを縛り付けてしまう。」(アルバート・アインシュタイン)
この「ある種の牢獄」から解き放たれようとすると、大きな矛盾が
立ちはだかる。
宇宙意識もまた人にとって「ある種の牢獄」では。
感受されたものと、導き出された思考は必ずしも一致しない。
なぜなら思考は言葉によってなされるからである。
感受したものをそのまま認識できればいいのだが、
日常を言葉で過ごす人にとっては、非常に困難なことであるはず。
明らかに言葉が邪魔をするのである。
この文章の中でアインシュタインも、結局、この限界を認めている
いるように思う。
これを越えたいという欲望が「悟り」という夢かもしれないが、
そもそも、それは何のためなのか? 自ら抱え込んだ苦悩から逃れたいため?
私は音楽に宇宙を感じ、言葉より先に反応する習慣があるが、
それとて言葉にすると、すぐ陳腐なものになるのだ。
私にとって、それは命ですから、安易に言葉化することは避けている。
というか、できない。
あえて言うなら、「愛」。 ね? 陳腐に思う人多いカモね。
by voice-of-sora
| 2023-11-09 18:09